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美しく強く、万能な和紙 地域・未来へつながる「杉原紙」をつくろう
暮らしの中で皆さんは「紙」に注目したことはありますか?お絵描き、勉強、ちょっとしたメモ書きなど様々な用途で使われる「紙」ですが、次々に消費され安価なイメージがあります。
現代では普段使いする人はほんの一握りだと思いますが、昔は「和紙」が使われ、とても高価で、貴族や武士のステータスであったこともあります。
兵庫県のほとんど真ん中に位置する多可町は1300年の歴史を持つ播磨紙の系統を引くと考えられている「杉原紙」の発祥の地と言われており、機械化が進む現代においても昔からの変わらぬ手漉き和紙が受け継がれています。
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多可町と杉原紙
原料となる楮(こうぞ)は地元(多可町)有志に依頼し栽培面積を増やし、平成7年からは全国でも珍しい「1戸1株栽培運動」を展開し町全体で伝統産業を守っています。
多可町内の小学校では自分で漉いた杉原和紙が卒業証書として授与されており、子供のころから地域の伝統産業に触れる工夫がなされています。
昔からの変わらぬ手漉き和紙の特徴は植物の繊維が複雑に絡むことで強度があり、色を付けると繊維にも色が染み、なんとも言えない絶妙な模様が浮かび上がります。
そんな杉原紙をつかって、便箋やハガキをはじめランチョンマットやカードケース、集印帖などが加工されています。多可町の『杉原紙研究所』で「杉原紙」の紙漉き体験を通じ、杉原紙の伝統の良さを感じながら携わる想いについてご紹介します。
『杉原紙研究所』で紙漉き体験
杉原紙研究所では、幼稚園児~シニアの方まで紙漉き体験ができるように職人さんの紙漉き道具とは別に簡易の道具を用意し、はがきサイズ~A3サイズの和紙制作をすることができますが、今回は「杉原紙のカードケース(名刺入れ)」と「杉原紙の集印帖」の体験をご用意いただきました。
ビジネスの場では名刺交換の際に杉原紙のカードケースから名刺を出せば話のネタの一つとなるし、集印帖と聞くと一般的には納経帳として神社・お寺の御朱印が思い浮かびますが、昨今は寺社それぞれのデザインに惹かれ、20代、30代を中心にスタンプラリー感覚で集印をする「御朱印ガール」なる言葉もでき馴染みのあるものです。
体験では、実際に川さらしを行った楮の白皮の繊維をほぐすために叩いたもの(紙料)とトロロアオイという植物からとった粘液を混ぜた冷たい水に手を入れ、紙を漉くために道具で1回、2回、と水をすくい、ふるふるっと揺らすとあっという間に紙っぽいものが。
道具だけでなく、指にもドロドロの紙がまとわりつきますが、なんだか楽しい気分に。紙に色をつけ、折る作業、貼り付ける作業を行います。
紙漉きの時間はあっという間に終わりますが、乾燥させるのに約1時間。冬場や天気が悪いともっとかかることもあるようなので、カードケース作り、集印帖作りは3日ほどの作業に分けて行います。(はがきなどの体験はその日のうちに持ち帰るか郵送ができます)
体験1日目にあとの日程を相談して決めることができるのでお仕事やお休みの都合に合わせて無理のないペースで制作を楽しむことができます。
杉原紙のストーリーと『杉原紙研究所』の思い
杉原紙は奈良時代の「播磨紙」の系統を引き紙と考えられ、平安時代には最高級の和紙として1束1本の贈答や献上品として使われていました。
室町時代中期からは一般庶民にも広く使われるようになり、江戸時代では浮世絵や版画に使用され庶民の日常生活に欠かせないものだったといわれています。
但し明治維新後、製紙よりも収益の高い他産業への転職や雑木林の面積減少により原料の楮が地元で賄えなくなり、他地域からの輸入コストがかかったことで製紙業者が減少。
追い打ちをかけるようにヨーロッパで発明された機械による製紙法が日本に上陸したことで洋紙産業が本格化し和紙は衰退していき、ここ杉原谷での紙漉きも永い歴史の幕を閉じました。
しかし、驚くことにその半世紀後に杉原紙は復活します。昭和15年8月2日に和紙研究会のメンバーであった壽岳文章(じゅがくぶんしょう)氏と新村出(しんむらいずる)氏が杉原紙のルーツを求めて杉原谷を訪問したことから、杉原紙はこの杉原谷で漉きだされた和紙であることが実証され、その後研究が続いた。
昭和45年、大正末期まで紙を漉いていた宇高弥之助さんによって半世紀ぶりに紙漉きを再現することに成功し、2年後には杉原紙研究所を設立し本格的に紙漉きが再開されました。
杉原紙研究所の藤田尚志(ふじたひさし)所長は今も変わらぬ伝統の方法で紙漉きを続けています。原料となる楮を釜で蒸し熱いうちに皮を剥ぎ、その後表面の黒皮を一本ずつナイフで剝がします。
白皮を研究所の目の前に流れる杉原川の川面にたたきつけ、ごみなどを洗い落とし一昼夜川につけてさらし天日干しする。
この川さらしは杉原紙の白さを際立たせるためのこだわりですが、作業は2月の極寒の中で行われています。そこから紙漉きを経てやっと和紙が完成します。
1月~4月中旬ごろにかけて一連の流れが行われますが、なかなか手間のかかる厳しい作業。しかし藤田さんはこの工程を変わらず手作業で行うことを大切にしています。
「1000年以上前から手作業で紙漉きが行われ、今もその和紙が残っていることに感動している。正直、紙を作ることはかなり大変だが、昔のやり方で今まで残っているのであれば、同じやり方で続けていけばこれからの1000年もこの杉原紙を残していけるのではないか。そういったものを作りたい。」
この言葉には、杉原紙を過去のように絶やしてはいけない、これからも守り続けていくという固い決意が感じられました。
杉原紙研究所
住所 兵庫県多可郡多可町加美区鳥羽768-46
電話番号 0795-36-0080
★ 神姫バス「西脇市駅」または「西脇(アピカ前)」発「山寄上」行きに乗車し「杉原紙の里」バス停下車すぐ。もしくは「鳥羽上」バス停下車後徒歩約10分
バイヤーからのメッセージ
一度は途絶えかけてしまったものが完全に途絶える前に復活し、今でも山奥で守り続けられていることに奇跡を感じます。手作業で手間をかけながらも伝統をつなぎ、伝統を守っていくために地域もつながっているのは良い絆であり素敵なことです。いつまでも丁寧な手作業を続けられ、この先1000年以上残る杉原紙であってほしいです。
また、「ものを大切にする」ということは幼稚園や小学生の頃によく言われた当たり前のことですが、大人になると日常にあふれているものを大切にすることを時々忘れてしまいます。
杉原紙の里を訪れ、藤田さんの話を聞きながら杉原紙の伝統を学び、自分で紙製品を作る体験をすることで、こんなに手間がかかっているんだなと知ることができ、ものを大切にするという気持ちを改めて思い出せた気がします。
体験は乾燥時間が長いので3日間に分けて行いますが、「えっ、3日間も多可町に行くんですか?」と思った方いらっしゃいますよね。行きましょう!多可町は自然豊かで、ラベンダーの時期に合わせて行ってみたり、岩座神(いさりがみ)の棚田を見に行ったり、地元食材をつかったランチを楽しんだりとゆっくりできるスポットがたくさんあるので、1日で体験を済ませてしまうのは非常にもったいない場所です。
多可町で杉原紙の体験をするとともに、自然に囲まれてぜひリフレッシュしてください!
(文/MIKI 写真/CHIKAKO、KENTA)
バイヤー MIKI
1994年生まれ。兵庫県三田市の湖の見える山のふもと育ち。あまいもの、音楽、おしゃべり、お昼寝が好きです。お酒と写真は日々勉強中です!地域のいいところを皆様にお伝えできるよう頑張ってまいります!!
編集部 CHIKAKO
1991年、兵庫県姫路市生まれ。おいしいもの、音楽、本が好き。お酒は日本酒が好物。趣味は写真撮影で、週末はだいたいカメラで遊んでいます。地域の熱量をお届けできるように頑張ってまいります。
編集部 KENTA
1995年、香川県生まれ。大学進学を機に兵庫県へ移住。少年時代は野生のサルと共に山中を駆け回って育ち、今でも山や森林など自然に囲まれた環境を好む(もはやサル)。美味しいごはんと美味しいお酒も大好物。趣味は料理と野球観戦。自分で料理を作ってお酒を飲みながら阪神戦の中継を見るのがささやかな楽しみです。