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伝統カレーを求めて、元町商店街へ
旧オリエンタルホテルとは
初代オリエンタルホテルは神戸の居留地に日本最古の西洋式ホテルとして明治3年(1870)開業。明治の終わりに誕生した三代目の建物は、「日本最高のホテルの一つ」と国内外から称されていましたが、神戸大空襲で被弾して取り壊されてしまいます。その後昭和39年(1964)に、世界で初めて灯台を設置したモダンな四代目が登場。多くの人に愛され、親しまれてきたのですが、阪神淡路大震災で被災し、閉館してしまいました。神戸では憧れの的とされてきた歴代の名門ホテルですが、「旧オリエンタルホテル」というと、この四代目を思い出す人が多いのでは。今回のカレーは、その四代目オリエンタルホテルで提供されていた古き良き昭和を思い出させる欧風カレーです。
江戸時代から「人が行き交う通り」
古き良き昭和のカレーに出合えるのは、これまた昭和の香りが漂うロケーション。140年の歴史を持つ神戸元町商店街の5丁目です。大丸神戸店前のスクランブル交差点から始まる神戸元町商店街は、西へ進むにつれて、タイムトリップしていくような感覚を覚えます。
4丁目あたりまでは元町でおなじみの喫茶店や物販店に、流行りのかき氷や食パンなどのお店が交じって観光客向けの華やいだ雰囲気が強いのですが、5丁目になると元町の歴史を感じさせるような老舗が存在感を増し、地元の台所的要素も強くなって八百屋さんや果物屋さんに人だかりができていたり……。
実はこの通り、江戸時代の「西国(さいごく)街道」にあたり、今も昔も人が行き交う賑やかな歴史が継がれているのです。5丁目には、その当時の人も参拝したであろう、1100年の歴史をもつ走水(はしうど)神社があります。
このハッピースポットを教えてくれたのが、神社の向かいにある『Sion』のマスターの一枝淳治さんです。
菅原道真公を祀っているので、狛犬ならぬ狛牛が鎮座。学業成就から厄除、商売繁盛とさまざまなご利益があるそうなので、立ち寄ってみました。拝殿の屋根を見上げると、なるほど、懸魚(げぎょ)と呼ばれる木製の装飾板がにっこり笑顔に見えます。
伝統の味「復活」までのドラマ『Sion』
『Sion』は8年ぶりに復活を遂げた旧オリエンタルホテルのカレーを看板メニューに2013年オープン。当時を懐かしむ世代やカレー好きが「聖地」ように訪れる名店です。
きっかけは、一枝さんと旧オリエンタルホテルのスカイレストランの料理長だった森光昭シェフの出会いでした。もともとはホテルや飲食店のマネージメント側にいた一枝さん、あるホテルのレストランのテコ入れで即戦力のあるシェフを集めようした時に紹介されたのが、現役を退いた、旧オリエンタルホテル系のベテランシェフたち。その中に森さんがいたのです。
ある朝、森シェフに「カレーは好きか」と尋ねられた一枝さん。好きと答えると「今からまかないで作ってやろう」と言われます。ところが昼食にも夕飯にも出ない。失礼ながらボケたかな? と思っていたら、3日後にカレーが目の前に。今頃? とびっくりすると「わしらのカレーはそう簡単には出来ん」と。そして一口食べた一枝さんの脳裏には、子供の頃、旧オリエンタルホテルのスカイレストランで両親と食べたカレーの思い出が鮮明に蘇ったのでした。
この味を「贅沢なまかない」で終わらせてはならない、と思っていたところ、大丸新長田店へのカフェ出店の依頼がきました。そこで『Sion』の前身となる喫茶『詩音』で、森シェフをはじめベテランシェフたちが作る旧オリエンタルホテルのカレーをリーズナブルな価格で提供したのです。
しかしその後、大丸新長田店の閉店に伴い喫茶店も閉店。けれどもネット上で「懐かしくて美味しかった」という多くの書き込みを見て、熱くなった一枝さん。ベテランシェフが再集結し、カレーとビーフシチューの専門店『Sion』が誕生したのです。
師弟のように継承されてこその味わい
現在『Sion』の厨房に立つのは一枝さんですが、伝統の味の伝承は、簡単なものではなかったようです。
昭和初期生まれの職人気質のベテランシェフたちは、生き字引ならぬ生きレシピ。あ・うんの呼吸で、作り上げていきます。マネージャーとしてホールに立っていた一枝さんは、そばで見ているうちに、自分が受け継ぎたい、という気持ちになりました。そこで見よう見まねで作ってみますが、味はまったく別もの。とは言え、こちらから教えてくれとは言えない雰囲気がありました。
けれどもしばらくすると、シェフたちの方から「年齢的に仕事が辛いから誰かに継承したい」と申し出が。そこで「俺に教えてほしい」と正式に頼むことができたそうです。
手順などには自信があったのに、実際、教わるとなるとダメ出しの嵐。なかでも目から鱗な気づきを得たのが、寸胴(ずんどう)内の45ℓのペーストを30ℓまで煮詰めるという工程を、効率を考えて強火でしてしまった時だそう。一枝さんが作った寸胴ひとつ分のカレーペーストは「まずい」の一言で全部、流し台に捨てられてしまいました。そして言われたのです。「仕込みを仕事としてやるな」「わしらは仕込みでなく、志込みをしている」と。
厨房に一緒に立って3年目にして文句を言わなくなったベテランシェフたちは、5年目の2020年に一枝さんの腕の火傷を見て「やっと料理人らしくなったな」と言ったそう。「それが世代交代の瞬間でした」と一枝さん。今は顧問として、時々、顔を出してカレーの味をチェックしていくそうです。
最初の一口の感動がずっと続く
復活の物語を知ったところで、いよいよ旧オリエンタルホテルのカレーを堪能しましょう。黄金色のルーは、舌触りがなめらか。まず甘い香りが広がります。そして爽やかな酸味が追いかけてきて、後にじわっと辛さが届きます。でも喉を過ぎると、口の中は不思議なことにリセットされているので、次もその次の一口も、同じように甘・酸・辛が楽しめます。この味わいを、以前食べたことがある人は「懐かしい」と、初めて食べる人は「新鮮!」と感激するのです。
お肉は焼いてからボイルし、ブイヨンをとった後、寝かしておいて、最後の仕上げでルーに戻すからしっかり味わいも存在感もあります。その他の具材は玉ねぎとリンゴ。どちらも溶け込んでいて形はありません。気安く工程を教えてくれる一枝さん、伝統のレシピは極秘では? と思いますが、延べ3日間かけて「志込む」カレーは、そう簡単に真似できるものではないというわけですね。
旧オリエンタルホテルのスカイレストランでは当時1,800円で提供されていたカレー。もちろんルーはスープポットで付き合わせもレーズンやナッツなど品数多く、ホテル仕様でしたが、自身のサラリーマン時代の感覚から、ランチは1,000円以内にこだわった一枝さんは、サラダとコーヒーを付けてビーフカレー990円で提供。昭和の名物との再会は、昭和生まれの私の心にいろいろと染みました。
Sion
住所 兵庫県神戸市中央区元町通5-2-18
電話番号 078-335-6248
営業時間 11:30〜14:30
(土日はディナー営業18:00〜20:00も)
定休日 月曜休
大切にしたい食後の珈琲選び『はた珈琲店』
『Sion』でいただいたコーヒーもおいしかったのですが、食後はお店を代えてお茶をする昭和スタイルも楽しみたい。なぜならここは元町。行きたい珈琲専門店が数軒浮かびます。今日は『Sion』から歩いて2分で行ける『はた珈琲店』に。学生時代以来の訪問です。
商店街の角に佇むレンガ造りの雰囲気のある一軒。入ると、当時のままの雰囲気で出迎えられました。マスター・畑芳弘さんの笑顔も同じ。ゆったりくつろげる2階もありますが、特等席は1階のカウンター。マスターの手品のようなハンドドリップの所作を、眺めて楽しむのです。
メニューに目をやり、驚きます。酸味や渋みなど味わいのチャートが載っていて、好みの豆を選ぶことができるのですがその数、15種類。しかもそのうち8種は自家焙煎ブレンド。震災後から自家焙煎を始めたそうで、店舗の3階に焙煎室があるのだそう。
珈琲を選ぶと、次のお楽しみはカップ。200客以上あるカップから好きなものを選ぶのも可能だし、お任せすれば、マスターが似合うものをセレクトしてくれるスタイルなのです。ファッションチェックされているような、キャラクターを見られているような……。自分のカップの方が素敵だと、よく友達と言い合ったことを思い出します。
こういうコーヒーのオーダーに馴染んだ喫茶店好きからすると、セルフカフェの「トール」や「グランデ」などというカップサイズや、カタカナだらけのメニューが未だ、苦手なのかもしれません。
歴史を尋ねると、昭和53年(1978)にマスターのお母さんの加津子さんが開業。1日に必ず2杯飲むコーヒー好きで、カップのコレクションは加津子さんの趣味。90歳の今も、毎日店に顔を出します。「座ってるだけ」とおっしゃいますが、常連さんとのやりとりを見ていると、現役の看板娘です。
居心地の良さとエモさは年齢層を選ばず
さて私の目の前に現れたのは、ウェッジウッドの1997年ミレニアムコレクションに淹れられた「はたブレンド」500円。美しい図柄に見惚れながらいただきます。自分好みで選んだブレンドゆえ、酸味も苦味もベストバランス。ホッと一息いれたところで、隣の人のオーダーが気になりました。
マスターに尋ねると、最近人気の「氷珈琲」650円とのこと。水出しコーヒーを凍らせた氷がたっぷり入ったグラスに牛乳が注がれています。最初はミルク色、そこから優しいきなり色になって、じんわりと琥珀色が濃くなり始めます。最後に薄まるアイスコーヒーとは逆に、最後に一番しっかり珈琲風味が楽しめる逸品。年中、コーヒーはホット、と決めてる私の心を揺さぶるメニューです。
それにしても、皆さん結構、長居されています。「お店は回転も大事ですが、ゆっくりした時間を提供したいですね。この時代に、全席喫煙可能です。私がコーヒーとタバコが好きで、そのあいまった香りが好きだから。でも嫌な人はうちを選ばないでしょうし、タバコが吸えて良かったと言ってくれる人もいる。この空間を気に入ったなら、長居してくれていいんです」とマスター。
確かに喫煙者の割合は高そうです。私自身、タバコを嗜まないこともあり、煙は苦手な方なのだけど、換気もよくされているからか、気になることなく過ごせました。
昔はランチタイムが大忙しだったけれど、最近はそうでなくなったとか。お昼の後は、缶コーヒーなどで済ましてしまうのでしょうか? でもその代わり、お茶の時間に混み合うのだそう。常連が多い中、初めて来店するセルフカフェしか知らないような20代の子もいて、物珍しげに、あちこち写真を撮っていくそうです。なるほど、いまや『はた珈琲店』は映える、エモい店なのですね。
はた珈琲店
住所 兵庫県神戸市中央区元町通5-7-12
電話番号 078-341-3410
営業時間 9:00〜19:00
定休日 水曜と第2水曜の翌木曜休
お土産は世代を超えて人気のケーキ『元町ケーキ本店』
昭和にタイムトリップしたような1日ゆえ、お土産も昭和からの定番を。『はた珈琲店』から徒歩1分の『元町ケーキ本店』へ。お店はおしゃれなガラス張りに変わってしまったけれど、ショーケースの中は「ママのえらんだ」のキャッチフレーズ通りの、素朴かつ素材重視なケーキで、ホッとします。しかも親しみやすい価格帯なのも、うれしいです。
お目当ては「ざくろ」295円。創業者が、和菓子に使われる生地に切り目を入れて返すという和菓子の手法を用いた、独特の姿かたちが特徴のケーキ。それをざくろと表現しているのが、粋ですね。
スポンジにクリームにイチゴ。ショートケーキの構成ですが、黄身が多めでカステラのような焼き色と、不揃いな形が醸し出す親しみやすさが唯一無二。しかもクリームもスポンジも軽い甘さなので、世代を問わずにペロリといけちゃいます。一日1,000個売れる人気者ゆえ、ショーケースの一段にずらり。来る人来る人、必ずざくろをオーダーするのも、見ていて圧巻でした。
家まで我慢出来ない人は、外と中の両方にあるイートインスペースで食べて帰るのもありですよ。
元町ケーキ本店
住所 兵庫県神戸市中央区元町通5-5-1
電話番号 078-341-3410
営業時間 9:30〜18:30
定休日 水曜休
お家で再び昭和トリップを楽しめるセット
『元町ケーキ』のざくろに加え、それぞれのお店で見つけた商品をお土産に購入。
『Sion』では、伝統のカレーのレトルトを5パック2,160円。一枝さんがOKを出すまで7回試食しただけに、再現度はかなりのもの。『はた珈琲店』ではドリップパック5袋600円を発見。このパックなら、家でマスターの味に近い一杯が簡単に淹れられます。
家にいながら旧オリエンタルホテルのカレーをいただき、食後は昭和から愛され続ける珈琲&ケーキで一服。ノスタルジックな今回のおでかけを、再現してみてください。
メッセージ
昭和世代の当時の憧れや定番が今もしっかり伝承されている元町通5丁目界隈。いいものは、しっかり受け継がれていると実感しました。そして若い世代は、それらを新鮮で素敵なものと感じているよう。温故知新な一日で、心もお腹も大満足です。
(文・写真/中島美加 編集/Local Prime編集部)