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東条川体験⑤発見がいっぱい!鴨川ダム歴史探訪ツアーに行ってきた
東条川疏水の源、鴨川ダム。東条湖としても知られるこの場所の歴史を辿るモニターツアー「鴨川ダム歴史探訪」が2024年10月25日(金)に開催されました。
なぜ鴨川ダムが造られたのか、ダム湖ができる前の姿はどうだったのか。興味深い歴史が語られる当企画。ランチには地域の食材を用いたお弁当が付く楽しみもあって、多くの人が参加してくださいました。当日の模様を紹介します。
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地域の生活を支える東条川疏水
「鴨川ダム歴史探訪」ツアーは、鴨川ダムや東条川疏水について、その役割や歴史を映像と紙芝居による紹介と鴨川ダム内部を含む施設見学ができるレアなイベント。「2025大阪・関西万博」に合わせて兵庫県が魅力ある地域の体験を発信していく取り組み「ひょうごフィールドパビリオン」に「見て!動いて!味わって!東条川疏水博士になろう!」として認定されているプログラムのモニターツアーとして開催されました。
10月25日(金)という平日開催にもかかわらず、予定定員を超える22名が参加してくれました。
集合場所は、観光旅館「東条湖グランド赤坂」。東条湖畔に建ち、客室は全室レイクビューで、特に「東条湖おもちゃ王国」を楽しむ家族連れに人気。今回は、2階の大広間をお借りしました。
窓の外は、とても気持ちのいい眺め。特に美しいのは夕日の風景だそうです。
この日の貯水率は30%。いつもの年なら夏から秋の台風や前線による雨でもう少し貯まっているようですが、今年は7月の梅雨明け以降雨に恵まれず渇水状態のようです。自然を相手にする難しさを感じます。
現在の東条湖は、東条湖おもちゃ王国やアクア東条(淡水魚の水族館)、ボート遊び、ルアーフィッシングなど北播磨地域を代表する観光スポットです。東条湖おもちゃ王国の前身である東条湖ランドが1969(昭和44)年に開園した頃は、湖上を遊覧船が就航するなど一大観光地として人気を博し、1980年代には年間約80万人が訪れていたそうです。
はじめに、東条川疏水とは何なのか、どういう役割で、どんな設備や技術が使われているかなど、動画やパネルを使っての解説から始まりました。
北播磨と呼ばれる加東市や小野市、三木市は、日本一の酒米・山田錦をはじめとする農作物の宝庫です。
でも、この地は国内でも有数の小雨地帯。古くから水不足に悩まされ、各地に無数のため池を作り灌漑用水としてきました。それでも、大干ばつに見舞われることがしばしば。安定した農業用水の確保は地域の願いでした。
戦後、食糧増産が国家再建の最優先課題とされた1947(昭和22)年、国営東条川農業水利事業が発足し、鴨川ダムや周辺水路の造成が始まりました。
国をあげた国家プロジェクト「鴨川ダム」が完成したのは1951(昭和26)年。ダム自体は戦後初のコンクリートダムとして、着工からわずか2年で造られました。あわせて安政池などため池の改修、サイフォンや円筒分水などの様々な技術を駆使した施設を造成し、現在の東条川疏水が生まれました。
鴨川ダムを主な水源とした全長108kmの水路網は、約3,000haの農地に水を運び、加東市や小野市の水道水としても利用されています。
今や当たり前のように使われている水資源ですが、東条川疏水の恩恵を受けていることを忘れてはなりません。
紙芝居で知る鴨川ダム誕生の歴史
続いて鴨川ダム建設時の歴史が大型紙芝居「東条湖物語“湖底のふるさと”」で語られました。
東条川流域の水不足を解消するための悲願の末に完成した鴨川ダムですが、その裏ではダム建設のために湖底に消えた土井村がありました。この歴史を後世に伝える紙芝居です。
臨場感あふれる紙芝居は、ぜひ直接見て欲しいので内容について簡単に内容だけ紹介します。
土井村は、鴨川の上流にあり水に困ることなく、盆地なので強風の影響も受けにくい作物がよく育つ土地でした。しかし、鴨川の一部を堰き止めるだけで湖にできるダム湖建設に最適の場所でもあったことから、ダム建設の候補地となります。
土井村では話し合い、地域の人たちのためと決断し先祖伝来の土地を離れることに。村民たちの苦悩と移転にともなう困難。戦後初のコンクリートダム建設で目にした光景などが、優しいタッチの絵とともに情感たっぷりに語られます。
約20分の上映時間は、誰もが聞き入ってしまいました。
上演してくれたのは、加東市に伝わる民話を後世に語り継ぎ、郷土愛を深めてもらおうと2011(平成23)年に結成された「ふるさとみんわ会」のみなさん。こども園や小学校、老人会、ケーブルテレビへの出演など、活動されています。
紙芝居製作は、歴史の調査や台本作成、大型紙芝居の絵づくりも全てオリジナル。今回の「東条湖物語“湖底のふるさと”」も依頼を受けてから、資料収集や関係者への聞き取り、現地調査をふまえてから製作にとりかかり、550日もの期間を要したそうです。
残し伝えていかなければならない歴史への強い思いを感じました。
レアな体験!鴨川ダム見学
鴨川ダムは、1949(昭和24)年3月28日起工式が行われ、急ピッチで建設が始まりました。翌年の秋以降は、昼夜を問わず250万人以上が工事に携わり、セメントは進駐軍から調達し、当時珍しかったダンプカーが連なり走る姿に見物人がでたそうです。
着工からわずか2年後の1951(昭和26)年11月。貯水量838万トンの鴨川ダムが完成し土井村は湖の底へと消えました。湖の名は周辺地域の地名をとって「東条湖」と名付けられました。
鴨川ダムから見えるお社は、東条湖水天宮。土井村への感謝と観光地としての発展、豊かな水を地域にもたらしてくれることを願い、祭られています。
まずは、ダム操作室内の見学。ダムを安全に管理するための情報が表示され、モニターがいっぱい並んでいます。
設置してある案内板の前での解説。ここには音声案内のボタンもあります。
今回のために当時の写真などを配置した解説もありました。
いよいよダム内部の見学です。まずは急な階段。今回特別に見学できましたが、本来はダムを管理するために造られており、ダムに沿って続く階段は、ちょっとスリルがあります。
ダム内部、監査廊へと入ります。
監査廊には、さらに急な240段の階段が待っています。段差もあり、手すりなしでは、かなりきつい階段です。
ダム内では建設当時の型枠の木目が残り、この企画のために建設当時の写真が飾られ、当時の現場の様子を伺い知ることができました。
ダム建設時の遺構も残されています。コンクリートを練るための設備「ミキシングプラント」跡は、75年も前の遺構とは思えないほど、しっかりとコンクリート部分が残っています。
他にも洪水吐け巻上室や取水塔なども見ることができ、貴重な体験に参加者も満足した様子でした。
鴨川ダム見学は、地元小学生の課外授業が行われる程度でダム内部の見学までは通常行われていません。大人向けの見学会は今回が初めて。貴重な体験にワクワクさせてくれました。
ダム見学後は地元食材を使った弁当に舌鼓
ダム見学の後は、東条湖グランド赤坂に戻り昼食です。用意されていたのは、地元食材を使ったお弁当。三田市や加東市、大阪市などで展開している料理店「和がや」の特製弁当です。
ご飯は播州百日どりを使った炊き込みご飯。播州百日どりはその名の通り、おおむね100日かけて飼育された多可町産の銘柄鶏。肉厚でジューシーな味わいが特徴です。お弁当には唐揚げやコロッケとしても入っていました。
他に黒田庄牛を使ったコロッケや地元野菜など、北播磨の食材をふんだんに使っています。ダム見学で体を動かした後ということもあり、格別の美味しさでした。
今回の「鴨川ダム歴史探訪」は、初めての試みでしたが鴨川ダムの歴史と魅力、東条川疏水による恵みの原点として、ダム施設にとどまらず、歴史や地域の発展に大きな役割を果たす水資源の大切さを再発見するいい機会となりました。
今後、モニターツアーの結果を踏まえてひょうごフィールドパビリオンのプログラムとして、どう展開していくか検討が進められていくことでしょう。開催が決まればローカルプライムでも案内できると思うのでご期待ください。
(ライター 塚本隆司)
※本記事は2024年10月時点の情報です。価格は税込み表示です。商品内容や価格が変更となる場合があります。
ライター 塚本 隆司(つかもと たかし)
姫路城を眺めながら生きてきた、脱サラライターです。全国あれこれ旅をして来たけれど、やっぱり地元が1番!“兵庫のよいもの“を探し求めて歩きます。(呑み歩きだろ! とは言わないで笑)読んでくれているみなさまの「行きたい!欲しい!食べたい!」が「行こう!買おう!食べよう!」に心が動いたなら、何よりの幸せです。