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『播磨国総社』総社さんのこと、どれくらい知っていますか?

『播磨国総社 射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)』

姫路で「総社(そうしゃ)さん」と親しまれている『播磨国総社』。正式な神社名は『播磨国総社 射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)』といいます。 播磨国の神様を一同に集めた「播磨国総鎮守の神社」であり、姫路城歴代城主から崇敬された「姫路城鎮護の社」。何かとお世話になっている人も多く、地域の人に愛されてきた「総社さん」こと『播磨国総社 射楯兵主神社』を紹介しましょう。

『播磨国総社 射楯兵主神社』ってどんな神様

『播磨国総社 射楯兵主神社』(以下、総社さん)を紹介するにあたり、まずは御朱印をご覧ください。

『播磨国総社 射楯兵主神社』

御朱印好きな人なら、すぐにわかったと思うのですが、この御朱印、少し変わっています。一般的には、中央に墨書きした神社名の上に神紋や神社印が押されます。ところが「射楯兵主神社」と書かれた上に「播磨国総社」の赤(朱)い印が押され、異なる神社の名前が1枚になっています。そして、総社さんで授受されている御朱印はこの1種類のみ。「射楯兵主神社って?」「総社さんの御朱印は?」となる人も多いようなので説明いたしましょう。

御影石造りの大鳥居(県指定文化財)

こちらは国道2号の東行き。総社さんの南側から撮影したもの。1652(慶安5)年、姫路藩主榊原忠次公が寄進した御影石造りの大鳥居(県指定文化財)が建っています。石柱や神額には「射楯兵主神社」の文字だけがあります。(「播磨国総社」とあるのは玉垣)

射楯兵主神社

総社さんに伝わる歴史を簡単に説明すると、今から約1,450年前の564(欽明天皇25)年。飾磨郡伊和里水尾山(いわのさとみのおやま、今の姫路市山野井町。男山の水尾神社あたりと思われる)に兵主大神(大国主神)をお祀りしたのが始まり。のちに飾磨郡因達里(いだて、今の姫路市新在家本町。八丈岩山といわれる)に射楯大神(五十猛神、素戔嗚尊の御子神)がお祀りされ、平安時代(800年代後半)に合祀されたものと伝わっています。本殿は、この二神が祀られた射楯兵主神社です。

播磨地域の多くの人は「播磨国総社」「総社さん」と親しんできたため「射楯兵主神社」といわれてもピンときません。全国的には「射楯兵主神社」で知られており、播磨国総社と射楯兵主神社が同じ場所にあるとは思っていない観光客との間で、話が通じないことがあるので注意しましょう。

では、播磨国総社はどこにあるのでしょうか。まず、大鳥居をくぐり参道を抜けた先にある本殿南側の神門の額に「播磨国総社」と書かれています。

「播磨国総鎮守の神社」

播磨国総社は、播磨国内16郡(郡(こおり)とは、今でいう市や町など行政上の区分のこと)の大小明神174座の神々をあわせ祀る「播磨国総鎮守の神社」として播磨一円(東は神戸市西区・明石あたりから西は赤穂まで)の人々から信仰を集めてきました。

なぜ、神様を集めたのかというと、この地に国衙(こくが、今の県庁のようなもの)が置かれた時代、神に祈ることは役人の大切な仕事で、朝夕に領内の全ての神社を回らないといけなかったそうです。実際は不可能であり、毎日とはいかなくても大変なのは変わりなく、全て一つのところに集めようとなったのが総社です。

「播磨国総明神」

境内に「播磨国総明神」と掲げられた赤い鳥居があり、その奥、つまり本殿の裏手に、神殿が3つ並んだ「播磨国総神殿」と呼ぶ社が並びます。これが「播磨国総社」です。

「播磨国総神殿」を西側から撮影
「播磨国総神殿」を西側から撮影

中央に12神をお祀りした「十二社合殿」、東に東播磨8郡を祀った「東播磨総神殿」、西に西播磨8郡を祀った「西播磨総神殿」があります。「総社さんに行ってくる」は、本来はここまでお参りするということになります。

それぞれの郡の名が書かれている
それぞれの郡の名が書かれている

参拝は御礼から

神社に行く時「ここは何々の神様だから」ということを念頭においてお参りをしたりしますが、神様が集められた総社さんはどうなのでしょう。それは、こちらの写真を見てください。

良縁、出産(安産)、家内安全、商売繁盛

何でも構わないようです。良縁、出産(安産)、家内安全、商売繁盛、人生の全てのシーンを見守ってくださっています。

権禰宜の杉原さんに、参拝について伺いました。

お願いよりも、まずは感謝の心。お願いを伝える前にお礼を申し上げるところから始められた方が気持ちも楽になると思います。「今日お参りできるのは、健康であったり、助けがあったりすればこそ」という「ありがとうございます」の感謝の言葉を述べてから「ところで、お願いがありまして」という感じでご参拝ください。呼吸と一緒で、息を吐かないと吸うことはできません。タンスの中もいっぱいだと入りませんから。
神様にお願いしたからといって必ず願いが叶うわけではありません。合格祈願や必勝祈願にしても相手があることです。無事に勝負の日を迎えられ、戦いの場に立ち自分を奮い立たせ、いつも以上の力を出せるとしたら、それが神様のお力のひとつ。たとえ、満足がいく結果ではなかったとしても、前向きな心でいられるよう、神様が後押ししてくださっているはずです。

日々感謝の心を忘れないことが重要ですね。

総社さんの行事

一番賑わいを見せる行事は、初詣です。3が日で約30万人が訪れる播磨地域でいちばんの人出が見込まれています。初ゑびす祭(1月14日・15日・16日)も宝恵駕籠行列などで賑わい、心が踊るような活気のある年の始まりの風景がここにはあります。

祭事として重要な日は、霜月大祭(11月13日・14日・15日・16日)。16郡の大小明神174座の神々を合わせ祀ったことを記念し斎行されます。総社夏祭(7月10日・11日)は射楯兵主神社がこの地に鎮座した事を祝う日にあたります。
他にも身近なところでは、「節分祭」(2月3日)や「水無月大祓式 輪ぬけ祭」(6月30日)、「人形感謝祭」(6月1日~7月31日)など多くの催事があります。

参拝を済ませ神恩粥をいただく
参拝を済ませ神恩粥をいただく

20年ほど前からは、毎月1日(朔日祭)と15日(中日祭)には、神様にお供えしたお米で作ったお粥が振る舞われる「神恩粥」があります。朝7時からの行事で「神様のお力をいただき、新たな気持ちで励みましょう」というありがたいお粥です。

梅干しがひとつ入っている
梅干しがひとつ入っている

20年に一度の大祭「三ツ山大祭」

年中行事以外にも、総社さんにはとても重要な行事があります。
それは「三ツ山大祭」と「一ツ山大祭」。日本全国の八百万(やおよろず)の神様をお迎えし、播磨の国中が幸せになるように祈る行事です。
一ツ山大祭は、60年に一度開催され、前回は1987(昭和62)年、次回は2047年の斎行予定です。三ツ山大祭は、一ツ山大祭の臨時大祭で20年に1度催されます。前回は2013年3月31日から4月7日まで開催され、のべ65万人もの人が訪れました。次回が2033年なので、今年(2023年)は前回から10年、次回開催まで10年という年になります。

手前から二色山、五色山、小袖山(撮影日:2013年4月7日)
手前から二色山、五色山、小袖山(撮影日:2013年4月7日)

三ツ山大祭は「八難苦厄をはらい、国内が平和で皆が幸せになりますようにと祈る祭」。境内に大きな山(置山)を3つ(五色山、二色山、小袖山)建てます。その高さは18メートル。ちょうど境内の国旗掲揚台と同じ高さです。

総社御門の展望室からみた風景(撮影日:2013年3月27日)
総社御門の展望室からみた風景(撮影日:2013年3月27日)

神門の上には、お迎えする側の射楯大神と兵主大神の社。三ツ山の上の社に全国の神様をお招きします。
社へと昇ると神職も足が震えるという高さです(神事の時は不思議と怖くないそうです)。

流鏑馬の様子(撮影日:2013年4月3日)
流鏑馬の様子(撮影日:2013年4月3日)

他にも、五種神事(競馬・一ツ物・神子渡・弓鉾指・流鏑馬)が催されたり、城下町に「造り物」が飾られたり、城下一帯がお祭りに包まれます。

すでに、2033年の開催に向けた準備は「播磨国総社 一ツ山大祭・三ツ山大祭保存会」の活動をはじめ進んでいます。具体的には、初ゑびす祭への参加や「造り物」製作会(8月、9月)が行われ、2034年の大祭で中心となって製作してくれる人を育てています(公式サイトで参加者を募集しています)。

2013年に製作された造り物のひとつ「弁慶と書写山圓教寺」(撮影日:2013年3月18日)
2013年に製作された造り物のひとつ「弁慶と書写山圓教寺」(撮影日:2013年3月18日)

「造り物」とは大祭開催中に城下町の各所に飾られるオブジェのこと。10年前も高校生や大学生、地元有志の人、自衛隊の方などが製作し、境内や商店街など10箇所に設置。それを見るために城下町を散策するのもひとつの楽しみになっていました。

三ツ山の1つ「小袖山」は多くの着物で飾られています。年に1度、陰干しが必要であり、開催の5年くらい前になると、古着物の寄付を募りはじめます。着物を必要とする理由は、全国から神様をお迎えするため、神様の布団(昔は掛け布団など無く、着物をかけて寝ていいました)として必要になるから。たとえ粗末なものでも、気持ちがあれば神様は受け入れてくださるので、地域に住む者としてお迎えしたいという気持ちが何より大切になります。

総社さん境内は見どころもいっぱい

総社さんは、観光スポットとしてもおすすめの場所です。

「総社御門」

境内の西に赤い大きな門「総社御門」があります。姫路城内の西門筋にあった城郭門「総社門」を、平成18年に神社建築の様式で再建したのが、この総社御門で国内最大級の楼門です。最上階(3階)は神殿・展望室になっています。
2階では、三つ山大祭の貴重な資料などを見ることができます(無料)。大祭の様子が絵などで残されています。今のように、写真や映像などで残せない時代は、この絵が頼りだったはずです。20年という年月は、世代交代のタイミングであり、この絵と向き合いながら準備を進めたに違いありません。

特に、実際の三つ山大祭で使われる置山は、祭事が終われば取り壊してしまうもの。その模型となる置山の10分の1の大きさのひな形(国指定重要有形民俗資料)が代々受け継がれています。

模型となる置山の10分の1の大きさのひな形(国指定重要有形民俗資料)

歴史的な建物としては大鳥居(県重文)の他、1506(永正3)年に寄進された「銅鐘」が残っています。

「長壁神社」

境内には摂末社がいくつかあり、その中には「長壁神社」(おさかべじんじゃ)があります。姫路城天守最上階の「刑部神社」(おさかべじんじゃ)、ゆかた祭りの中心地である立町の長壁神社に次ぐ、3つめの長壁神社です。火災や疫病の流行などで、遷座・分祀されたようです。ゆかた祭りの時に、ここまでお参りされるツウの人もおられます。

神使(しんし)の「みみづく」

こちらの「撫でみみづく」は、神使(しんし)の「みみづく」です。知性の象徴として崇められ、吉兆を運ぶ瑞鳥(ずいちょう)といわれています。

「姫路縁結び通り」
参道にプレートが埋め込まれている
参道にプレートが埋め込まれている

新しいところでは、大鳥居手前から本殿へと続く参道を「姫路縁結び通り」と名付け、境内には顔ハメパネルや縁結びの絵馬掛け場が設けられています。

顔ハメパネル。境内には絵馬掛けもある
顔ハメパネル。境内には絵馬掛けもある
「縁結び絵馬」と縁結びのお守り「ご縁さん」
「縁結び絵馬」と縁結びのお守り「ご縁さん」

縁にはさまざまな縁があり、恋愛だけではありません。たくさんのご縁を授かれるようお守りがあります。「ご縁さん」お守りは、パズルのピースのように、いくつもつながる形をしています。

「勝守(かちまもり)」(左)と「しあわせさん守」(右)
「勝守(かちまもり)」(左)と「しあわせさん守」(右)

お守りは、他にも。人気なのは、生涯負け無しといわれる武将・黒田官兵衛にちなんだ「勝守(かちまもり)」や三ツ山大祭をデザインした「しあわせさん守」などがあります。 おみくじは3種。お守り札の付いたおみくじがあります。

『福おみくじ』(300円)、招福御守が付いている。引いた12番の内容は内緒
『福おみくじ』(300円)、招福御守が付いている。引いた12番の内容は内緒

最後に春のお楽しみを紹介。境内の桜です。特に社務所脇のしだれ桜の美しさは見事。姫路で桜といえば姫路城が思い浮かびますが、総社さんの桜もオススメです。

社務所脇のしだれ桜 撮影日:2013年4月7日
社務所脇のしだれ桜 撮影日:2013年4月7日

(ライター 塚本隆司)

※本記事は2023年9月時点の情報です。価格は税込み表示です。商品内容や価格が変更となる場合があります。

播磨国総社 射楯兵主神社

住所兵庫県姫路市総社本町190
電話番号079-224-1111
アクセスJR姫路駅北口・山陽電車姫路駅から徒歩15分
神姫バス「市民会館前」下車すぐ
駐車場あり(有料)
参拝者は30分無料、祈祷の場合2時間30分無料、その他条件あり
HPhttps://www.sohsha.jp/
SNShttps://www.instagram.com/himejisohsha/
https://www.facebook.com/harimasohsha

ライター 塚本 隆司(つかもと たかし)

姫路城を眺めながら生きてきた、脱サラライターです。全国あれこれ旅をして来たけれど、やっぱり地元が1番!“兵庫のよいもの“を探し求めて歩きます。(呑み歩きだろ! とは言わないで笑)読んでくれているみなさまの「行きたい!欲しい!食べたい!」が「行こう!買おう!食べよう!」に心が動いたなら、何よりの幸せです。

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