書写山は、日本の古代国家が特別な霊山として選んだ由緒ある地です。
奈良時代(8世紀)には吉備真備という政府高官が神社を創建したと伝わり、
さらに平安時代(10世紀)には皇族の信頼を受けた
僧・性空上人が仏教寺院を開山しました。
つまり“二度にわたり国家に選ばれた霊山”という、
他にはない歴史を意味しています。
圓教寺の本堂である摩尼殿は、山腹の急斜面に張り出す「懸造(かけづくり)」という舞台建築が特徴の壮麗な堂宇です。創建は天禄元年(970年)と伝えられ、開山・性空上人が桜の霊木に如意輪観音像を刻んだことに始まるとされています。現在の建物は昭和8年(1933年)に再建された二層構造の堂で、京都・清水寺の舞台を彷彿とさせる大胆な造りが見どころです。
令和6年(2024年)、国の重要文化財に指定されました。
「三之堂(みつのどう)」と呼ばれる三つの主要建築の一つで、経典の講義や論議が行われた講堂です。室町時代中期に建てられ、下層は永享12年(1440年)、上層は寛正3年(1462年)に完成しました。堂内には釈迦三尊像が安置されており、年に数回、これに奉納する舞楽が常行堂の舞台で上演されます。
三之堂の南側に位置する堂宇で、正面に舞台が張り出した独特の構造が特徴です。室町時代後期の建立とされ、かつては僧侶が阿弥陀経を唱えながら本尊・阿弥陀如来の周囲を絶えず歩行する「常行三昧(じょうぎょうざんまい)」の修行が行われました。映画やドラマのロケ地としても知られています。
三之堂の西側にある長大な建物で、僧侶たちの寝食の場として用いられました。室町時代中期に着工されたものの、その巨大で複雑な二階建て構造により工事は難航し、約500年もの間未完成の状態が続きました。現存する日本の寺院建築では珍しい、総二階建ての大規模木造建築です。
開祖・性空上人の遺骨を祀る堂で、延宝元年(1673年)に建立されました。伝説の名工・左甚五郎作と伝えられる三体の力士像をはじめ、堂全体に極彩色の彫刻が施され、荘厳な雰囲気を醸しています。性空上人の坐像の頭部には、ご本人の遺骨が納められていると伝わります。
乙天社と若天社という二つの小社からなり、圓教寺を守護する二柱の神を祀ります。毎年1月18日に行われる「修正会(しゅしょうえ)」では、緑の乙天・赤の若天の面をつけた信者が松明を振り乱して境内を舞い回る勇壮な儀式が催されます。
摩尼殿の近くに建つ鐘楼は、袴腰(はかまごし)付きの二重構造(楼造)の建築です。寺記によると元弘2年(1332年)に再建されたもので、入母屋造・本瓦葺の堂内には、元亨4年(1324年)に改鋳されたと伝わる梵鐘が吊られています。中世の様式を今に伝える貴重な遺構で、現在も朝夕の時報や法要の際に撞かれる鐘の音が、霊山に響き渡ります。
三之堂からやや離れた場所に佇む三間四方の小堂で、室町時代後期の天文13年(1544年)に建立されました。もとは圓教寺の塔頭・普賢院の持仏堂であり、堂内には仏壇や厨子、天井には天女の絵が描かれるなど、優美な装飾が施されています。中世寺院建築として極めて貴重な存在です。
圓教寺の境内には複数の塔頭(子院)があり、そのうち江戸時代中期創建の寿量院(じゅりょういん)と十妙院(じゅうみょういん)の建造物群(書院、客殿、庫裏、門など)は国の重要文化財に指定されています。
寿量院ではかつて、格式ある空間で本格的な精進料理が提供され、多くの訪問客に親しまれていました。
日本の伝説に登場する修行僧「武蔵坊弁慶」は、圓教寺の境内で修行中に自らの怒りを抑えられず、寺の講堂を焼き払ってしまったとされます。その後、贖罪の旅に出た弁慶は「千本の太刀を奪う」ことを課し、やがて京都・五条大橋で源義経と出会い、忠義を尽くす従者となります。
この物語は「忠義」「修行」「贖罪」という仏教的価値観と、日本の武士道精神を象徴する神話的逸話であり、書写山はその出発点なのです。
日本でもっとも有名な侍の一人である剣聖「宮本武蔵」は、二刀流の剣術と兵法書『五輪書』で世界的にも知られる日本の剣豪です。書写山は古くから修験道や仏教の聖地であり、武蔵もその一人だったと言われている。
その養子・三木之助は、わずか18歳の若さで主君・小笠原忠政の死に殉じ自ら命を絶ち、墓所は今も圓教寺の山内に残り、多くの参詣者が訪れます。このエピソードは、日本文化の中核をなす「忠義」と「名誉」の精神が、若者にまで貫かれていたことを象徴する史実です。
日本を統一した戦国時代の英雄・豊臣秀吉は、まだ無名の武将であった頃、中国地方への進軍を前に、この地に陣を構えたと伝えられています。
書写山から見渡す広大な視界と、山頂に築かれた本陣は、後の日本統一へ向けた決定的な一歩を象徴しています。この歴史の分岐点に身を置くことで、まさに運命を握る聖地という圓教寺の本質が実感できるでしょう。
圓教寺では、毎年1月18日に「鬼追い会式」という神聖な行事が行われています。寺を守護する神霊「乙天」と「若天」が、青鬼・赤鬼の姿で登場し、炎を使った迫力ある舞を披露します。
この千年以上続く伝統儀式は、日本古来の山岳信仰と仏教修行の融合を象徴し、宗教的な「霊力」や「浄化」の力を視覚的に体感できる、極めて希少な文化遺産です。
書写山の参道は、まるで別世界に足を踏み入れたかのような静寂と霊気に満ちています。樹齢数百年の杉の大木が並び、苔むした石畳が敷かれたその道は、単なる山道ではありません。
仏教の教えでは、心身の浄化(「六根清浄」)を求めて山に籠もることが尊ばれてきました。この山道を一歩ずつ進むごとに、都会の喧騒が薄れ、自らの内なる静けさと向き合えます。
圓教寺の荘厳な建築と自然に囲まれた山岳寺院の風景は、ハリウッド映画『ラストサムライ』(2003年、トム・クルーズ主演)の撮影で使用され、日本の伝統的精神性と武士道を象徴する空間として世界中に発信されました。
またNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』『武蔵』などでも圓教寺が使用され、国内外の観光客の間でその存在が一躍有名になりました。この地に立つことで、歴史・伝説・文化を同時に体験できる場として、圓教寺の価値はますます国際的なものとなっています。
「西の清水寺」とも称される懸造(かけづくり)の舞台建築。舞台下からの仰角ショットや、舞台上から姫路市街を望む眺望は、写真家に人気の撮影スポット。
大講堂、食堂、常行堂がコの字型に配置され、白砂が敷かれた中庭との対比が美しい、圓教寺を象徴する伽藍構成。
苔むした参道、石垣、土塀が織りなす、静謐な情景。季節や湿度によって表情が変わる緑のグラデーションは、マクロレンズでの撮影が映える。
樹齢700年以上と伝わる圓教寺の大杉。根元から見上げる構図で、その神々しい存在感を写真に収めることができる。
書写山の最高地点(標高約371m)に位置する白山権現からは、山々と姫路市街を一望することができます。特に「マジックアワー」の時間帯は絶景。
ロープウェイから望む四季折々の書写山。紅葉や新緑、遠く瀬戸内海まで広がるパノラマは、訪れる者の心を奪う。
静寂の中で集中する写経や坐禅の風景は、圓教寺ならではの修行風景。被写体を中央に据えることで、荘厳さと集中力が強調される。
静かに筆を運び、
自らと向き合うひととき
初めてでも安心して
参加できるガイド付き
ただ観るだけでは終わらない、
書写山圓教寺の深層へ
苔むす岩、樹齢数百年の木々、
鳥の声に包まれて
世界遺産・姫路城が「戦いと統治の象徴」であるとすれば、書写山圓教寺は「祈りと修行の聖地」。ともに姫路市が誇る文化遺産でありながら、まったく異なる役割と空気をまとった空間です。
姫路城が華やかな城下の賑わいと武士の智略を感じさせる場である一方、書写山は静寂と自然に包まれ、千年を超えて人々の心を整えてきた場所。このコントラストこそが、姫路という町の奥深さを物語っています。姫路城を訪れたなら、もう一歩足を伸ばし、「心の城」とも言える書写山を訪ねてみてください。
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